見て見ぬ振り - グローリア国際知財事務所

見て見ぬ振り

 

最近、他人が困った事に遭遇したり、不幸な目にあって臥せっていても、「見て見ぬ振り」をしている光景を、目にすることが多くなったと感じる。

程度の差こそはあれど、他人の痛みに傷かない振りをしながら、生きているというような事が多くなってきていると思う。

これは、厄介事に巻き込まれないようにするための、「自己防衛反応」の一種である。

凶悪な事件、例えば無差別殺人事件などが増え、物騒な世の中なので、こういった「自己防衛反応」が生じてしまうのは、ある程度は仕方のないことだとは、理解できる。

しかし、近年は明らかに、この見て見ぬ振りをしている光景に遭遇する頻度が増えている。

例えば、駅で調子を崩して、具合が悪そうにフェイクプラントの寄せ植えの所のレンガの縁に座っていったとき、「大丈夫?」と声をかけてくれて、駅員さんのところまでついてきてくれて、しばらく仮のベッドで寝そべっている様子を見守ってくれ、ペットボトルの水まで買ってきてくれた、優しいカップルがいた。

あるいは、電車内で痴漢に遭遇し、犯人に抗議をしたけれど、しらばっくれられて困っていた時、一緒に犯人に対して抗議をしてくれて、犯人をしっかり腕で捕まえると共に、駅員室まで同行してくれた、通勤途中の複数の親切な人達がいた。

あるいは、道路量の多い道路に、いまにも飛び込んで自殺をしようとしている少女を見つけて、「死んではいけない!」と必死に説得を試みていた男性を見かけたこともあった。

他にも、そのような光景や経験を多数覚えている。

今でも、外国の方から見れば、日本は、「見知らぬ人に親切にしてくれる人が多い国」、「おもてなしの国」という印象が強く残っているようで、日本が好きな理由として、上記のようなことを挙げる外国の知人・友人が多い。

しかし、もうそれは過去の日本のイメージであり、今はもはやそうではない。不親切な国へとすっかり変化してしまった。

駅員さんに、新幹線の切符の売り場を探したけど分からないと、尋ねたりしても、腕を売り場のある方向へ差し上げて、「あっち」というだけだったりして、実にそっけない。

いまは、「親切な国」のイメージがまだ強く残っているから、日本は旅行先として人気があり、外国人観光客が多く訪ねて来てくれて観光産業は潤っているが、現実の日本の不親切な様子が見聞されて、広まってしまった後には、もうそのような人気ランキング上位の国では無くなってしまうのが目に見えている。

それに、不親切な人ばかりの国は、大変に生きづらい。

外国の方に何等かの親切を施されることがある度に、「海外へ移住したい」との思いが、心の叫びの様に、浮かんでくる。

また、かけてもらった「親切」を、今度は私が誰かに返さなければ、と切に思うのだけれど、親切を日本国内で返しても、「親切の伝達経路の構築」、つまり世の中に親切な行動を増やすための活動には、全く貢献出来ないようにも思う。

とは言っても、良心が痛むので、「見て見ぬ振り」をすることは、私自身はやはりしたくない。

少し勇気が入るけれど、困っている人がいたら、「大丈夫ですか?」 “Are you okay?”と話しかけるようにしている。

もちろん、それで「困っている人」が危ない人であったら、全力でその場から走って逃げる必要があるので、少し危険が伴う行為ではあるのだけど、それでもやはり放っておけない性分なので、私は、「見て見ぬ振り」はしないです。

 

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